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「もしもし……」航は美由紀から取り上げたスマホの電話に出た。『ああ? 何だ? てめえは。人の女の電話に勝手に出んじゃねえよ』受話器越しからは相手を威圧する遠藤の声が聞こえてくる。「俺はなあ……美由紀の知り合いだ」「はぁ? 知り合いだと? 何だそりゃ。あ……ひょっとして美由紀の前で別の女を抱きしめて傷つけたって言うのは……お前のことだろう!?』遠藤の声のトーンが大きく、航は耳から受話器を外して聞いていたので、遠藤の声は美由紀の耳にも届いていた。(美由紀……こいつに俺と朱莉のこと話していたのか……)航は美由紀の方をちらりと見ると、美由紀は項垂れて視線をそらせた。「ああ。確かにそうだ。だがな……お前は俺の元カノにDV行為をしているな? それで助けを求められたんだよ。美由紀にな」 『はあ? おい! お前……ふっざけるなよ! 出せ! 美由紀を今すぐ電話口に出せよ!』遠藤は大声でまくし立てた。しかし、航はそれに応じない。「はあ? 誰が電話に出させるかよ。とにかく一度話し合いしようぜ。お前の都合の良い時間に合わせてやるよ。ほら、言ってみろ」航はまるで遠藤を挑発するかのような口ぶりで言う。『くっそ……! ふざけやがって……! それじゃ……明日だ! 明日の19時に西郷隆盛の銅像前で待ってろ!』「ふん。よしいいぜ。それにしても西郷隆盛の銅像前なんて……お前、DV野郎のくせに随分可愛らしい待ち合わせ場所を指定してくるんだな?」どこまでも航は挑発的に話す。『な……! て……てめえ! 俺を馬鹿にするのかよ!!』「いや、別に。それじゃあ必ず来いよ。待ってるからな」航はそれだけ言うと有無を言わさず電話を切り、溜息をついた。「わ……航君……」美由紀は信じられない思いで涙を浮かべて航を見た。「美由紀……」航は美由紀の名を呼んだ。(来てくれた……航君が私を助けに来てくれた……!!)「わ、航君。あのね……」「ごめん」航は美由紀が言葉を言い終わる前に頭を下げてきた。「航……君?」「ごめん、美由紀。俺のせいだろう? 俺がお前を捨てたから……お前はあんな奴に捕まってしまったんだろう?」そして美由紀にスマホを手渡すした。「美由紀。もう今日と明日は絶対にあいつからの電話には出るな。それに今夜はもうマンションに帰るな。今夜はどこかビジネスホテルに一泊
今を去ること1週間程前―― 航は父から聞いた遠藤達也のことについて調べていた。遠藤を調べるのは簡単なことだった。なぜなら彼は上野のドラッグストアに勤務していたからだ。上野と言えば航が拠点としている場所で、いわば庭同然のようなものだった。(一刻も早く美由紀を遠藤から救ってやらなければ……!)だがそう思う一方で、航はもう二度と美由紀とやり直す気にはなれなかった。冷たい人間と思われても構わない。航の中では朱莉と美由紀では天秤にかけるまでもなかった。朱莉に対する思いの方がはるかに勝っていたからである。(悪い、美由紀。お前は俺と別れて……それで深く考えずに、たまたまナンパしてきた男のことを深く知る前に安易な気持ちで付き合ってしまったんだろう?)そう考えると航は罪悪感で一杯になってしまう。だが、美由紀とよりを戻すかどうかと言えばそれはまた別問題であった。今の自分に出来ることはDV男と美由紀を別れさせることなのだと航は心に決めていた。**** 航は別の仕事の依頼も引き受けていて、その仕事と併用している為四六時中遠藤に張り付いているわけにはいかないが、時間の許す限り航は遠藤の様子を探っていた。そして調べれば調べるほどにこの遠藤という男がいかに最低な男なのかということを目の当たりにするようになった。普段の遠藤は温厚そうに見えるが、それは表の顔に過ぎなかった。ドラッグストアの店員ということもあり、接客業はたいして問題は無かったが、彼の態度が豹変する時は卸売業者や販促物設置業者が来た時だった。彼らに対しては自分の方が上の立場にいると遠藤は勘違いしているのか、とにかくつらく当たっていた。中には訪れた業者の中では女性が数人彼に怒鳴られて泣きながら帰って行く場合もあった。そのうえ、遠藤が付き合っている女性も美由紀一人ではなかった。他にも3人の女性と交際してるが、全員遠藤のDVに怯えていた事実も発覚した。(くそ! 何て男だ……! 美由紀以外にも被害者の女性がいたなんて! だが……逆にこれは好都合だな……)航は笑みを浮かべた―― そして航は動いた。まず、一番遠藤と交際期間が短い女性に会った。彼女は遠藤に対して酷く怯えていたが、まだ洗脳まではされていなかった。隙あれば逃げたい、別れたいと思っていたのだ。そこで彼女にボイスレコーダーを渡し、デート中の音声を録音して
怪我の治療を終え、美由紀は自分のマンションへ向かって歩いていた。その道すがら美由紀は溜息をついた。頭の中で琢磨に言われた言葉が頭の中でこだましている。『悪いことは言わない。ああいう男とはすぐに別れた方がいいな』「そんな……別れられるものなら……もうとっくに別れているよ……」美由紀はポツリと呟いた。 遠藤が実はDV男だったと言うことが発覚したのは3回目のデートの時だった。この日、美由紀は達也と上野動物園に一緒に行く約束をしていた。10時に上野公園で待ち合わせをしていたのだが、電車に乗り過ごしてしまった美由紀は5分遅刻してしまった。(別に5分位の遅刻なら連絡入れなくても大丈夫だよね?)そう考えた美由紀は遠藤に遅刻する連絡を怠ってしまった。5分くらいの遅れ位は構わないだろうと考えたのだった。だが……それが間違いのもとだった――公園に着くと、すでに待ち合わせのベンチには遠藤が足を組んで座っていた。「ごめんね、達也さん。少し遅れちゃって……待った?」美由紀は笑顔で遠藤に声をかけた。すると遠藤はイライラした様子で美由紀を睨みつけるといきなり怒鳴りつけてきたのだ。「遅い!! 遅すぎる!!」「キャアッ!!」そのあまりの迫力に美由紀は思わず耳を押さえてしまった。「え……? た、達也……さん……?」美由紀は一瞬何が起こったのか理解できなかった。「おまえなあ……」遠藤はベンチからユラリと立ち上がると、再び激しく怒鳴りつけてきた。「約束の時間を5分もオーバーしやがって!! しかも、遅れるって連絡を一度も入れずに! ふざけるんじゃねえ!!」「ご、ごめんなさい!! 許してください!」美由紀は必至で頭を下げた。あまりの恐怖に目じりには涙が浮かんできた。一人っ子で両親から甘やかされて育ってきた美由紀は、誰かにこれほどまでに怒鳴られたのは生まれて初めての事であったのだ。「謝れば済むとでも思っているのかよ!!」美由紀が必死で謝っても遠藤の怒りは収まらない。「お願いです……達也さん。何でもしますのでどうか許してください……」美由紀は震えながら必死で頭を下げ続ける。すると少しだけ遠藤の声のトーンが落ち着いた。「ほ~う。何でもしてくれるのか?」「は? はい……」美由紀は恐る恐る顔を上げた。「そうか……なら、今日のデート代、すべてお前が払えよ」「
「キャアアアッ!!」背後でものすごい悲鳴が起こり、琢磨は驚いて振り向くと、先ほどの女性が男に強く手首を握りしめられていた。(え……? あの男は誰だ?)「美由紀! 遅いじゃねえか! 人を10分も待たせやがって!!」遠藤は美由紀の腕を強く握りしめ、会社の前で怒鳴りつけている。その様子を通行人たちがじろじろと見ながら通り過ぎていく。「ごめんなさい! ごめんなさい!」それはあまりにもすごい剣幕で、見ている者たちは恐ろしくて、止めに入ることも出来ずにいた。(あれはDVだ! しかもうちの女子社員に……!)琢磨はすぐに引き返すと美由紀と遠藤のもとへと向かった。「おい! 美由紀! てめえ……この俺を10分も待たせたんだからな! 覚悟はできているんだろうなっ!? ……ん? 誰だ? てめえは?」遠藤は突然近づいてきた琢磨に気が付き不機嫌そうに睨みつけた。「何をしているんだ? 手荒な真似はよせ」怒気を含んだ声で琢磨は遠藤に言った。琢磨は女性に暴力をふるう男を一番この世の中で軽蔑していたのだった。「ああ~ん……この女は俺の彼女なんだよ。自分の所有物をどうしようが貴様には関係ないだろう?」そしてより強く美由紀の腕をねじり上げた。「い、痛いよ! 離して達也さん!」美由紀は涙交じりに訴える。「やめろ!」琢磨は遠藤に怒鳴りつけた。その時騒ぎを聞きつけてか、2名の自社ビルの警備員が足早にこちらへ向かってやってきた。「チッ!」遠藤は舌打をすると美由紀の腕を離し、足早に繁華街の方へ向かって去って行った。「大丈夫でしたか?」「お怪我はありませんでしたか?」2名の男性警備員は琢磨と美由紀に声をかけてきた。「いや……俺は大丈夫だったかが、この女性社員、階段から落ちて怪我をしてしまったようなんだ」「え……怪我を?」「どこを怪我したんですか?」2名の警備員に聞かれた美由紀は俯きながら答えた。「あ、あの……右手首と左足首を……」それを聞いた琢磨は警備員たちに声をかけた。「すまないが、こちらの女性を医務室まで連れて行ってあげてくれないか?」「ええ、分かりました」「どうぞ、つかまって下さい」警備員たちは美由紀を両脇から支えた。「……ありがとうございます……」美由紀は涙目になって2人の警備員に礼を述べ、琢磨を見た。「……社長。ご迷惑をおかけしてしま
だが実際に美由紀の顔色は非常に悪く、女性社員はすぐに頷いた。「そうした方が良さそうだわ。今日はもうあがっていいわよ。主任はら……あら、いないわね? いいわ。後で私から話をしておくから」「すみません……ありがとうございます」美由紀は頭を下げると、てきぱきと帰り支度をはじめ……一瞬先ほどの女性先輩と目があってしまった。(い、いけない! 具合が悪い人間がこんなに素早く動いていたら……怪しまれる!)そこで今度はわざとゆっくり帰り支度を始めた。PCの電源を落とす頃には17時50分を指していた。(どうしよう……大変! 後10分で達也さんが……!!)美由紀はガタガタ震えながら、隣の女性社員に声をかけた。「あ、あの……それではお先に失礼します……」「え、ええ。お大事にね」女性は心配そうな表情で挨拶を返してくれた。美由紀はお辞儀をし、バックを抱えるように持ち、そろりそろりと部屋を出た途端……勢いよく廊下を走り出した。(早く……早く急がなくちゃ!! 達也さんに怒鳴られる!!)美由紀の部署のフロアは7Fにある。エレベーターホールに行ってみると、運の悪いことに3基あるうちの2台が点検中だった。稼働しているのは1基のみで8階に上って行っている。(そんな……! このエレベーターを待っていたら……間違いなく18時過ぎちゃうよ!!)美由紀は再び泣きたくなってきた。でもここで泣いても何も始まらない。美由紀は身を翻すと、階段へと向かった。「ハアッハアッ!」息を切らせながら階段を駆け下り、残りあと1階分迄下りてきた時。「キャアアッ!!」あまりにも気が急いて焦っていた為に美由紀は残り3段目の階段部分で足を踏み外してしまったのだ。ドサッ!!数段上の高さから落ちてしまった美由紀は一瞬何が自分の身に起きたのか理解出来なかった。ただ、気づけば自分が床の上に倒れていたのだ。慌てて起き上がろうと右手を床に着いた途端に痛みが走り、立ち上がった瞬間に左足首に酷い激痛に襲われた。「う……。いった……」美由紀は階段から落ちた衝撃で右手首と左足首を痛めてしまったのだ。「どうしよう……これじゃ……もう歩けないよ……」涙目になったその時。「誰だ? こんなところで何をしているんだ?」階段の上から声が聞こえてきた。慌てて振り向くと、そこにはスーツ姿の琢磨が立っていたのだ。「あ…
7時――出勤準備をしていた美由紀のスマホに電話の着信音が流れてきた。「!」その音に美由紀の肩がびくりと跳ね上がった。震えながら恐る恐るベッド前に置かれたローテーブルの上に乗っているスマホに手を伸ばし、着信相手を見た途端、絶望の色が顔にうかぶ。(ど、どうしよう……。また電話かかってきちゃった……。で、でも出ないと後が怖いし……)相手は美由紀の新しい恋人になった遠藤達也からだった。美由紀は震える手でスマホをタップすると電話に出た。「も、もしもし……」すると――『遅い!!』電話越しからいきなり遠藤の怒鳴り声が響き渡る。「キャア! ご、ごめんなさい!!」大きな声で叫ばれたので、美由紀の耳がジンジンした。『何でもっと早く電話に出ないんだ!? 3コール以内にいつも電話に出ろって言ってあるよな!?』「ご、ごめんなさい……。あ、朝は忙しくて。そ、そんなにすぐに電話に出ることが出来なくて……」美由紀は恐怖を押さえながらも何とか話す。『言い訳なんかするんじゃねえ!! お前にはそんな資格は無いんだよ! 黙って俺の言う事だけ聞いてろや!! この馬鹿女!!』「は、はい……ご、ごめんなさい……」美由紀は受話器を離しながら、半分涙声で謝罪する。『チッ!!』遠藤の大きな舌打が聞こえてくる。『美由紀、今日俺は早番だからな。18時にお前が勤務してる会社の前で待ってるからよ、1分1秒でも遅れたら承知しないからな!!』「そ、そんな無理言わないで……。18時に終われる保証なんて……」『うるせえな! 仕事が終わらなさそうなら仮病でも何でも使え! お前は俺に言われた通り、18時前に仕事を終わらせて会社を出てくればいいんだよ!!』「は、はい……。わ、分かりました……」美由紀は震えながらも返事をすると、電話はブツリと切れてしまった。「う、ううう……」美由紀は両肩を抱えて震えながら嗚咽した。(もういやだ……! こんな怖い思いをするくらいなら……彼氏なんていらない! ずっと1人でいた方がましだよ……!)そして美由紀はベッドに顔を埋めると、身体を震わせながら泣いた――**** 17時半――美由紀は自分のデスクのPCを前に視線をキョロキョロさせていた。一応勤務時間は17時半までと規定されているが、今日は『ラージウェアハウス』のセールの最終日で、トラブル対応の